
美しいのに難解な、あの映画の答えを探して
「この映画は初見で意味が分かった人、どれくらいいるんだろう?」
観終わったあと、そんな疑問が真っ先に浮かぶ。
気になってレビューを見てみたら、「美少年とおじさんの悲哀を愛でる映画」「見た目が普通のただのおっさんが美少年に一目惚れしてストーカー」「おじさんが美少年にもだもだしてるのを眺める映画」と、私と同じ人がたくさんいた。
圧倒的な映像美、マーラーの音楽も美しい。でも正直なところ、何が起きていたのかよくわからないのです。
『ベニスに死す』(1971年、ルキノ・ヴィスコンティ監督)。Amazonで400円でレンタルできます。どこを切り取っても絵画のような映像で、音楽も衣装も素敵です。なのに、話はほとんど動かない。主人公の老作曲家が、1人の少年をただじっと見つめ続けるだけの映画。答えも、説明も、何も教えてくれないまま終わります。
「なにこれ、どういう映画?」と思った方は、きっと多いと思います。私もそのひとりでした。
この映画、美大の通信課程の講義『創造とデザイン』で紹介されたのがきっかけで観ました。ニーチェの芸術哲学を説明する文脈で出てきた一場面が、とても印象的だったので。講義で受けた解説をもとに、この映画を自分なりに読み解いていきます。
冒頭の口論シーンが、映画のテーマと意味をすべて語る
映画が始まってすぐ、主人公アッシェンバッハと友人アルフレートが激しく言い合う場面があります。
「芸術は純粋だ。魔力は受け入れない」
「それは理想主義だ。邪悪は必要だ」
初見では何の話をしているのか全くわかりませんでした。でもこのシーン、実は映画のテーマをまるごと先に提示しています。
ここで二人は、「美とは何か」について対立しています。
アッシェンバッハ(主人公・作曲家)の考え
美とは、理性と努力によって到達するものだ。
芸術家は自分を律して、感覚に溺れることなく美を創り出す。
アルフレート(友人)の考え
美は、倫理や理性では作れない。美は感じるものだ。
頭で考えてばかりいたら、本当の美には永遠に届かない。
| アッシェンバッハ | アルフレート |
|---|---|
| 美は理性・努力で生まれる | 美は感覚・直感で生まれる |
| 芸術家は自制すべき | 感覚を解放すべき |
| 感覚に溺れるのは堕落 | 覚なしに美はない |
この口論は、映画の最後まで観てから振り返ると、物語の持つ意味がまるで変わってきます。
主人公は、自分の信念に負けていく
ベニスに滞在するアッシェンバッハは、ある美少年・タッジオに出会います。
タッジオを演じたビョルン・アンドレセンは、息をのむほど美しいです。画面で彼の姿を追いながら、自分もアッシェンバッハと同じ目線になってしまいました。
アッシェンバッハは最初、理性で感情を抑えようとします。でも日を重ねるごとに、タッジオを眺めることをやめられなくなる。疫病が蔓延するベニスを去ろうとした瞬間に引き返してしまう。白髪を染め、化粧を施し、つきまとう。
かつて自分が「堕落だ」と言っていた、感覚への溺れそのものになっていきます。
ラストの結末をどう見るか
主人公の最後、ただの「みじめな末路」として観るとつまらないです。
アッシェンバッハは生涯、理性と自制で芸術を作ってきた人間です。その鎧が、タッジオという存在によって剥がされていく。自分の信念を失い、「美」へ手を伸ばしながら破滅へと向かっていく。
死の瞬間、浜辺でタッジオを見つめながら崩れ落ちるあのシーン。
なぜヴィスコンティは、少年の美しさに執着した人間の最後をこんなにも美しく撮ったのでしょうか。
難解な意味を理解する鍵:ニーチェが言っていた「二つの力」
「ストーカーおじさんの映画」が、なぜこんなにも厳かで、名作と称えられているのか。 この映画の構造、そして私がこの作品から読み取った意味を探るために、ちょっとだけ時計の針を巻き戻して、哲学者ニーチェの話をさせてください。
ニーチェは著書『悲劇の誕生』の中で、芸術の根源には「二つの力」があると言いました。
アポロン的なもの
理性・秩序・明晰さ。美しく整った形の世界。
自分という輪郭がはっきりしている状態。
ディオニュソス的なもの
陶酔・混沌・根源的なエネルギー。
自分という境界が溶けて、何か大きなものと一体になる感覚。
そしてニーチェが言ったのは、どちらが「正しい」ということではなく、この二つが緊張関係を保ちながら融合するとき、最も偉大な芸術が生まれるということでした。
ニーチェはアポロンとディオニュソスの調和に芸術の理想を見た。
しかしアッシェンバッハは、その理想的な調和には届かなかった。
『ベニスに死す』は、理性によって生きてきたアポロン的な芸術家が、人生の最後にディオニュソス的なものへ飲み込まれ、その果てに死を迎える物語として映りました。
ストーリーが動かない映画が、大きな意味を持つ理由
この映画がわかりにくいのは、答えを言葉にしないからです。
アッシェンバッハは何も語らない。タッジオも何も語らない。ただ、眺めているだけのアッシェンバッハ。ただただ、美しいタッジオ。作中で、二人が会話を交わすことは1度もありません。
でもそれ自体が、映画のメッセージであり、この作品の持つ意味そのものかもしれません。美は、説明できない。理性で整理しきれない。それでも人はそこに引きずられる。
映画を見終わった後、私の頭に残ったのはタッジオではなく、冒頭で交わされた芸術論争の方でした。
授業を振り返ったり、他の方の考察を読んだり、ニーチェの哲学に触れたりしながら、「そういうことだったのか」と少しずつ紐解いていく映画でした。正直、今も完全に理解したとは思っていません。これから制作を重ねていく中で、また観返したとき、もしかしたら違う見方ができるのかも。そのときにまた、この記事に書き足したくなるかもしれません。
『ベニスに死す』(1971)|監督:ルキノ・ヴィスコンティ|原作:トーマス・マン
Amazon にて販売・レンタル配信中(2026年5月現在)
